地蔵の会の円坐
2年目の地蔵の会の円坐によせて (2017.4.14)
こんにちは。地蔵の会の小林です。
日々の暮らしのなかで湧いてくる、想いや願い、そして祈りなど、そうしたものを待ちこめる場所を、どこか遠くの特別な場所でではなく、日常とのつながりのなかに創りたい。そんな想いを共有する3人が集まり、できた地蔵の会。地蔵の会の円坐は、3人と、その時ご縁のあった人達と一緒に、昨年の3月から毎月1回、延命寺の本堂で、まるくなり座ってきました。2017年4月には2年目を迎えます。
地蔵の会の円坐では、お地蔵さんと一緒にまるくなって座っています。
実はこのかたちは、前回の3月の場からはじまりました。それまではお地蔵さんのまえに、まるくなって座る、という形だったのですが、その日はふとした思い付きで、お地蔵さんも一緒に座っていると感じられるよう、座布団を並べました。そして、その日に初めてお越しになった参加者の人が、ふと、お地蔵さんの前でなら・・・と言うことで、それまで「話すつもりのなかったこと」を話してくださいました。この時、お地蔵さんがいるから話せることもあるのだ、ということを僕は発見しました。正直言って、かなりうれしい発見でした。
改めて、地蔵の会の円坐について振り返ってみると、一年をかけて、この場が、お地蔵さんと一緒に座ることが無理のない、自然な場となったのだなあと感じています。はじめ、「とりあえず月一回座ってみよう」というところからスタートしたこの場は、言葉を重ね、時に場に対して「奉納」の舞が舞われていくなかで、自然といまのような場になってきたのだと思います。地蔵の会独自の円坐のありかたが見えてきて、わくわくしています。
さてさて・・・。
お地蔵さんは、人がどんな状況にあろうとも共にいてくれる、そんな存在です。例えば、お墓の前や、道に並んでいる六地蔵さんは、たとえ人がどんな地獄に落ちたとしても、どんな場所で生まれても、救ってくれる、ということを表していると言われています。延命寺は役850年前に創立されたお寺で、このお寺の本尊であるお地蔵さんは、延命地蔵さまといいます。この延命地蔵さまは、片膝をたて座っています。この姿は、じっくりと座って話を聞き、必要とあれば時には、立ち上がり、歩いて人のところへ行く、ということを表していると、聞いています。
そんなお地蔵さまと一緒座る、地蔵の会の円坐。もしかしたら普段なかなか言葉にできないことも、自然と話せてしまうかもしれません。。。。
寒い時期は、本堂ではなく、下の階の床の間での円坐になってしまいますが^^
どなた様でもお越しになれる場です。