2019年3月31日、年度末のこの日に、てらたん塾のメンバーが主催となり、お寺で「大切なものとていねいにお別れする集い」(通称「燃やす会」)を開催いたしました。
振り返ってみれば、この企画は、てらたん塾を主催している谷口起代さん(地蔵の会)が旦那さんの実家である鹿児島の家と丁重にお別れすることができた話をきっかけとして、「ていねいに閉じること」の大切さを日々の暮らしの中でも実感していきたいよねという思いからスタートしました。(起代さんの鹿児島のお家の「ていねいに閉じる」の記録はこちら⇒https://www.kiyotani.net/teinei-ni-tojiru-1)
何か想い入れのあるものと別れなければならなくなるタイミングは、生きていれば、必ず巡ってくるものだと思います。そうした時に、想入れのあるものを、ただごみ箱に捨てる様に終わらせるのではなく、誰かに見守られながら、丁重に手放すことができれば、私たちは日々の暮らしのなかで、本当の意味で豊かさを感じることができるのではないでしょうか。そのような想いをもちながら「燃やす会」の準備を進めてきました。
このページでは、地蔵の会の中尾聡志さんのフェイスブックでのコメント、そしてアップされた写真を引用して、燃やす会のご報告をいたします。
中尾聡志さんのコメント
昨日はてらたん塾のみなさんが主催で「たいせつなものとていねいにお別れする集い」を開催してくれました。ずっと1年ぐらい前から、何かそういう場を開きたいと地蔵の会の3人で思っていたところ、機が熟したというのか、タイミングですね、気づけばてらたん塾のみなさんでそのような場をひらくという流れになり、昨日それが実現しました。
第1部は延命寺さんの本堂をお借りして、丸くなって坐り、それぞれが今日の気持ち、今の気持ち、今日お別れしたいものを持ってきた人はそのものについての気持ちを順番に言葉にしていきました。僕は一時期ボロボロになるまで使った母からもらったトートバックと訳ありTシャツを持っていき、言葉になることを言葉にしました。言葉にしていくと、漠然と思っていた思いが少しずつ明確になっていて、そうか僕はこのカバンやTシャツにそんな気持ちを持っていたんだなということがわかってきます。それをみんなに聞いてもらえてるということが、より自分の中にはっきり感を明確にしてくれているようでした。
順番に言葉にしていき、全員ぐるっとしたところで、今回の進行をしてくれていたきよさんから、僕の語ったことについて、もうちょっと聞いてみたい、何かまだ残ってるものがある感触があるとのことで、一つのワークを実施しました。語られたお話の中の人やものなどをその場にいる方達に代理人になってもらって、その場に立ってもらい、身体が動くままに動いてもらいながら、浮かんでくる言葉を聞いていくようなワークです。ワークの詳細はちょっと言葉にするのが難しいので、ちょっとここでは省きますが、僕はそのワークのあと、訳ありTシャツは今日ここで僕がお別れするものではないなという気持ちになり、家に持ち帰ることになりました。
第1部が終わり、第2部は外に移動し、今回のタイトル通り、たいせつなものとていねいお別れする時間です。火を焚いて、それぞれのタイミングで燃やしていきます。燃やす前に最初は影舞を一つに場におきました。それから、みなさん自由に過ごしながら、僕もタイミングをみて母からもらったボロボロのカバンを火の中におきました。ゆっくり燃えて黒くなっていくカバンをみながら、このカバンの最後をこのように見届けられることを嬉しく思いました。
お別れするというのは、もっと悲しかったり、寂しかったり、ちょっと辛かったり、苦しかったり、なんだかそういう気持ちだけを想像していたというか、もしくはそういう気持ちになることを避けて、しっかりお別れすることを心のどこかにしまったままにしてしまったり。でも、ちゃんとていねいにお別れができると、自分の中にある気持ちを言葉にして、それを聞いてもらって、最後をていねいに終わらせられたら、それはなくなって消えてしまうのではなく、もっとこれまで以上に僕の近くにあることになって、一緒にいる存在になって、また新たな関係に結び直される。そんなことを実感しました。
今回のような時間が、もっと暮らしの中に普通にあるといいなと思います。主催のてらたん塾のみなさん、参加してくれたみなさん、進行と場のホルードをしてくれたきよさん、今回も場をお貸しくださった延命寺さん、会場手配準備の取りまとめ等をしてくれた小林くん、どうもみなさんありがとうございました。(中尾聡志)
2019.6.5 記